りりらぼ

Noteのようなもの。教育、保育、遊び、学び、問い、哲学…それぞれが絡んでいる日々を綴ります。 Education, childcare, play, learning, questions, philosophy … Spell out the days that each is involved.

哲学対話の記事から

https://r.nikkei.com/stories/topic_DF_TH_19050800

なぜ? どうして? これは何? 生まれて間もない子どもは、問いを重ねて育っていく。その力を、いつのまにか失っていないだろうか。

 

--------------------

Lily 書くことへの気づき 

「苦手」と思っていた書くことをはじめてみて、自分自身から溢れる問いを改めて問い直すことが多くなった。

「それってどうなのかな?」「こうしたらどうなる?」「そもそも…」

対話の面白さを日々改めて感じる。

 

思いを言葉にして、書き溜めて…

あれ?

書くことって面白いかも。

 

「苦手」と感じる以前の書いたものに遡ってみたいと思った。実家にいって作文引っ張り出してこようか。

 

この記事を読んでいて、哲学対話に出会ったときのことを思い出した。

そうそう、モヤモヤしているのが面白くて 問うことって面白い!そう感じたんだった。

 

あの時のあの場所での気持ちを言葉にしておけば良かった!

 

--------------------

 

都立大山高校の実践から。「なぜ」を引き出す

f:id:lily1211lockin371:20190518081022p:image

 

(以下、抜粋 引用)

ファシリテーター」と呼ばれる哲学対話の進行役を務めるためだ。発言が滞ったときに質問を挟んだり、論点を整理したりして対話を回す。通常は哲学の専門家や対話に熟達した人が務めるが、この日は対話の経験を重ねてきた上級生に任された。

--------------------

発言者には、毛糸などで作ったボールが渡される。両手ですくうように持つとちょうど収まるサイズの柔らかなボール。これを持っている人が発言する。それに対して問いたくなったら、手を上げてボールをもらう。生徒が囲む円の中をボールがぽんぽんと飛び交い、対話が進む。強く投げつけても受け取る相手が決して痛くない、柔らかなボールだ。

--------------------

ファシリテーターが一歩先を問うと、生徒たちは考え込み、最初は遠慮がちに、感情を込めて、時に堂々と、論理的な主張を展開した。

問いと、答え。シンプルで骨太なやりとりが、生徒の目に輝きをともしていた。

--------------------

ハワイでの取り組みは「子どものための哲学(Philosophy for Children)」と呼ばれ、教育プログラムの1つとして米国では1960年代から広がりだしたものだ。子どもたちが共に問い、話し合うプロセスを通じ、探究心や考える力を育てることを目的としている。梶谷が魅了されたのは、話し合いの場に流れる底抜けに自由な雰囲気だった。こんなにも人が自由にモノを言うのを、それまで見たことがあったろうか。 

問う。考える。語る。それこそが哲学。それこそが、自由なのだ。

--------------------

対話では「なぜ?」「どうして?」と問いを向けられる。すると具体的な経験や、自分の内に秘めていた考えを基に語らなくてはならない。うなずき合う共感ではなく、語り合うことから生まれる解放感のようなもの。梶谷はそれを「日常の前提から離れて自由になること」と表現する。

自由だと感じること、それが体を軽くする。考えることが、人を自由にし、背負った荷を軽くする。

--------------------

学校関係者は喜ぶ。しかし、梶谷は冷静だ。「それより、化粧を禁じるという校則を変えたらどうですか?」

そう、この男にとって重要なのは、生徒を有名大学に合格させることではない。だれも縛られずに考えられる場だ。校則は、人を縛る。縛りをなくせ。あらゆる人に自由を。立ち止まり、考え、自ら歩み出す道を見つけてほしいのだ。

--------------------

本や他人から借りてきたのではない、「自分の声」があった

--------------------

対話は生き物だ。ひとつとして同じ対話はない。生き生きと躍動し、走り出すこともあれば、うずくまって動けなくなることもある。命を与えるために大切なことが3つあると、堀越は考える。「傾聴、提案力、そして哲学」だ。

まずは対話を進めるため、参加者の意見、質問を注意深く聞くこと。本当は何を言いたいのか? 真意を探らなければ、新たに投げかけるべき問いは浮かばない。

場面を展開し、転換する提案力もいる。ときに沈黙があたりを支配し、場がしらけてしまう。そのとき、ファシリテーターがどんな言葉を発するかで、その後の対話の質は定まる。

このとき、決め手となるのが3つ目だ。堀越の言葉でいえば「哲学的な問いを発せられるか」。善悪をめぐる倫理学存在論、認識論など、様々な分野の哲学に通じていれば、参加者の発言がどの方向に向かっているか、ある程度は位置づけられる。関心をひきながら、内容が深まるよう導いて、問いを発する。哲学を学びながらファシリテーター役を担う醍醐味はそこにある。

--------------------

f:id:lily1211lockin371:20190518080940p:image