りりらぼ

Noteのようなもの。教育、保育、遊び、学び、問い、哲学…それぞれが絡んでいる日々を綴ります。 Education, childcare, play, learning, questions, philosophy … Spell out the days that each is involved.

保育ひとくぎり

今日でひとくぎり。

 

4月からはじまった保育。

初めて保育をしたといっても過言ではない一年。まぁ、はじまってしまえばそんなことは関係なくなるのだが。

保育をする、した、ではなく

僕は一緒に学び育ち生きた。

 

たびたび感じたことは、子どもの気持ちをのせる、そしてこちらの意図と意味を伝えるか。

それに、聞くという安心をつくり、対話の場面をどうつくるのか。

そもそも子どもたちは、言葉にならないことが多いからこそ全身で表現するだな。

 

んー。やはり言葉にするとなんだか違う。

僕はこういうところの表現がまだまだ乏しい。

というよりしっかりこない。

自分の文章を読み返しても

伝えたいこと伝わらない

と感じるからだ。

 

ここらへんは本当に2人がうまい。

浸るような

染みてくるような

後からふわふわと残る言葉

鮮明な色や情景を描けるような

風や温度を感じることができるような

 

僕にはまだそういったことはできない

 

やろうとして、このブログを始めたわけだが、

まだまだだと感じる

ってことはまだ伸び代があるってことだ。

 

 

なんだか自然を感じた1年。

それは子どもにも。

自然に対抗するわけではなく、自然とともにあるってのは大事だなぁ。

 

Shinの昨日のつどいの説明。

何故やるのか?

どんな思いでやるのか?

そこらへんが丁寧だった。

 

Aiの今朝のつどい。

本を読むトーンも激しくなく、良い。

読んでいる本に集中した時、ぱっと離れて自然の音が入ってくる空間をつくる。

これは本当にすごい

 

歌や手遊びの本質的な意味も考えたなぁ。

何故やるのか?

季節やリズムに加えて、そこには保育者の思いや意図がある。

ある意味、場をコントロールするようで、ホールドするそんな意味合いだった。

 

4月に向けてやるならば、

一緒にやってみること。

つくってみること。

壊すこと。

試行錯誤すること。

そして、フィールドを探検し、探し、広げ、出会うことだな。

 

 

ふりかえりをするならば…

言葉にし続ける

信念はもつが揺れる

揺れるがその揺れが高速になれば

ある意味安定もする

近くをみて遠くからみる

その往復をいかに速くするか

 

そして、ひとつ。

今年は保育という言葉を盾に

僕は個人と向き合った

時に大きく全体を考えたものの

それは組織のこと

ともに働く人々のことであっただろうか

子どものことといえど

やはり自分自身の興味のあるところに尽きる

僕はやはり自分自身が揺れることを大切にして個は高める

そして、インフルエンサーのようにならずとも

そっと入れるような

 

大人は不自由だ

言葉に逃げることもある

違う

そうではないはず

もっと思い切り表現する

対話はやめない

 

 

かぜあそび、おわりの日のおたよりです。
文中からの引用。

「多くを言葉で表現するわけではない時期、子どもたちはお互いに表情やしぐさで相手の思いをみつめているようです。こういう子どもたちの姿をみると、言葉を持つほうが不自由なんじゃないかと思えるほど、身体全体、心全体で表現しあうやり取りのなかで生まれる営みは豊かだなと感じます。」

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「いやだ」
「やめて」
「いたかった」
「やりたかった」
「もっとやさしくしてほしかった」
「もっとほしい」
「やりたくない」

彼ら彼女らは、腹から出てくる思いを、そのまま音にして外に出し、相手にぶつける。
時にそれはストレートすぎて、傍らで聞いている方も心が痛くなり、「もっと別な言い方で伝えたら?」と声をかけることもある。

でも、ちょっとうらやましい。

おそらく、そうやってぶつけないと伝わらないことってけっこうあるんじゃないだろうか。
お互い痛みを伴う行為ではあるかもしれないけど、そういうやりとりって、時には必要だよね、大人も。

それを避けて、がまんして、その思いを押し込め続けながら、自分が自分であり続けるのは、けっこうしんどいことなんじゃないかな。

そんなことを思いながら、おたよりを読みました。

1年間、かぜあそび、ありがとう。

 

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