りりらぼ

Noteのようなもの。教育、保育、遊び、学び、問い、哲学…それぞれが絡んでいる日々を綴ります。 Education, childcare, play, learning, questions, philosophy … Spell out the days that each is involved.

集中しているとは

20040618

http://blog.onbetsu.net/mt/2004/06/

心拍数、呼吸数、体温、脳波などなど、体はどういう状態の時に「集中している」と言えるんだろうか。

 

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集中している時はどんな時だろう。

子どもといると、年齢によっても違う。

莉麗の様子なんてずっと観察できる。

 

様々な子をみてきたけど 興味、集中できる持続時間 ここらへんは年齢や性差を感じる。

集中というより夢中、熱中とも言えようか。

ところでこの"集中"とはどんな状態なのか。

 

自分自身の経験では…

北信越大学リーグの最終日 第5戦 vs金沢工業大学のとき。

午後1:00からの試合で、いつもより体育館はあたたかった。

床と靴の相性もよくグリップが効いた。動きやすい。

第2セット 23対17の場面でまわってきたサーブ。

 

あの時は集中していた。

 

身体の熱を感じ、指先までボールを操作する感覚がコントロールできる。

トスアップの高さ、回転の速さをコントロールできそうなくらい。

 

こういうときは大概 調子が良い。

「…いける!」

 

この後6連続でサービスエース

 

あのときは、集中しつつも身体に力が入りすぎずコントロールできていた。

というよりも、自身への暗示だったのか。

ただその後もあの日あの場面を思い出すと、すっと身体の力が抜けて集中できる。

いわゆるゾーンに近い気がする。

(そういえば、ゾーントレーニングなんてのもしたっけ)

このゾーンに入るとその時間は長くない。

終わるとその状態は戻すことが難しい。

というよりも疲れる。

自分自身の経験ではそんな感じ。

 

どうやら集中ってのは、「集中!」といって入るものではなさそう。

ダンスでもそうだが、大抵 そういう時は力がはいり、動きのぎこちなさを感じ、思うようにコントロールできない。

そうすると結果も悪い。

でもこうやって思い出すたびに思うけど、こういう時は、よく客観的に自分をみて分析している気がする。

もう一つ経験がある。

それはLEGOや絵を描いているとき。 

『なにかをつくろう』ではなく、その時の感覚や思い、今まで出会ったデザインを回想しながらやっていると、次々にデザインが溢れてくる感覚がある。

この時、ふと時計をみると時間がパッとすぎている。

バレーやダンスと違うのは、客観的に自分をみていない印象が強い。

 

こう考えると身体性と思考生の集中は違うような気がする。

 

それぞれ必要な場面で使い分けることができたらどんなに良いだろうか。

 

積み重ねなのかな。

時間や場所、自身の心持ちによる気がする。

もう少し自分と対話してみよう。