りりらぼ

Noteのようなもの。教育、保育、遊び、学び、問い、哲学…それぞれが絡んでいる日々を綴ります。 Education, childcare, play, learning, questions, philosophy … Spell out the days that each is involved.

道徳の指導法#5

道徳科の評価のあり方

f:id:lily1211lockin371:20191222105308j:image

 

 評価を考える 光村図書出版hp

第5回 「評価」をどう考えるか | 小学校 道徳 | 光村図書出版

 

なぜ道徳科で評価を行うのか

道徳の教科化で,評価の方法や在り方が話題となっています。ここではまず,なぜ評価を行うのか,基本的なことから考えましょう。道徳教育における評価の意義は二つあります。

 

  1. 児童生徒が,自分自身の道徳的成長を実感し,学習意欲の向上につなげること
  2. 教師が,指導計画や授業改善に役立てること

 

道徳科における評価は,児童生徒の道徳的なよさを認め,励まし,伸ばすためのものであることが望まれます。これは,道徳性が人格に関わるものであると考えられるからです。

教師は,評価というと,数値による評定を考えがちです。しかし,道徳科における評価は,それとは全く異なり,記述式で行います。今回の教科化で,指導要録に道徳科の欄が設けられることとなりました。この欄に,道徳科の授業内での「学習状況」や「道徳性に係る成長の様子」を記述し,評価することになります。

 

道徳科における評価方法

道徳科における評価では,他の児童生徒と比較することはありません。また,他の教科のように,目標に到達したか否かを見取っていくこともありません。あくまでも,個々の児童生徒に注目して,個人の中でどれだけ道徳的成長があったかを見取ることになります。評価方法としては,次のような方法が考えられます。

f:id:lily1211lockin371:20191222104139p:image

これらの評価方法は,それぞれに特徴があり,一長一短があります。したがって,評価方法は一つに限定するのではなく,相互補完的に取り入れることが望ましいでしょう。

道徳科における評価は,何よりも,子ども自身が自分のよさに気づき,そのよさを伸ばしていくためのものであるべきだと思います。ぜひ,このことを基盤に据えて,子どもの道徳的成長を願い,評価に取り組んでいきましょう。

 

 

答えのない学校hp 

探求の共同体を実現する対話とは?–子ども哲学の現場から | こたえのない学校

◆1年生の哲学対話

まず1年生のクラスですが子ども「マインドフルに対話しよう」「できるだけ多くの人と話そう」など哲学のルールをみんなで確認した上で、「ワンダーボックス(不思議に思ったことの箱)」に入っている「問い」を広げて、みんなでどの問いで今日話そうかと決めます。「なぜ私たちは不思議に思うんだろう?」「エイリアンは本当にいるの?」などいくつかの問いが出ましたが、この日にみんなで決めたのは、「なぜお金は大切なの?」

まず、先生はその問いを出した男の子に「なんでお金が大切かどうかと思ったの?」と聞きます。そうすると子どもは「ショッピングに行ってお金がないと買えないから」と答えます。そうすると、お友達が「クレジットカードもお金かな?」「お金って借りることもできるんじゃない?」と話が進みます。

そのうち対話は「どんな人がお金を必要とするんだろう?」「お金があるとハッピーなのかな?」「お金なくても幸せになれるよ。」「お金で幸せは買えるかな?」と進んでいきました。そのあたりで時間が来たので、この対話全体をみんなで振り返ります。振り返りも、「この対話は(心理的に)安全でしたか?」というような質問に対して、みんな手のサインを送って、確認していきます。「心理的に安全でなかった」というような子もいて「なぜ?」と聞かれたら、「私はお金の話はしたくなかった」などとしっかり答えられていました。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

ここにパース・デューイらのプラグマティズムに見られるような、対話的合理性、つまり社会のメンバーの間で合理性が獲得されていくという考えが出てきます。もちろん、個人としての自己と社会的な存在としての自己はしばしば矛盾するのですが、健全な知的発達の基盤となる「感情」というものがその繋ぎ目を果たし、共感と愛が人々を結びつける「探求の共同体」となっていきます。(p181)

思考が全体性を扱うことができないのであれば、どうしても環境との歪みが生じ、それを是正しようとすると、別の問題を生んでいきます。それは必然的に視野狭窄を生む世界ですが、複数の人間で行われる対話では、そうした「一人よがり」が是正されていきます。

「驚き」のような身体と感情を伴った対話こそが、新しい視点、新しい問いを更新させ、哲学を合理的なものとし、社会を民主的なものにしていく。哲学対話は子どもたちを民主主義を担う主権者へ成長させ、平和の構築者として育てていくことになる、と本書は結論づけています。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

学校はもともと、社会の先を進み、社会の規範を示すものでした。また近代ではさまざまな格差を是正するシステムであったはずなのに、本書も指摘する通り、教育こそが格差を生み出す元凶になってしまっているところがあります。

デモクラティックエデュケーションという手法があって、子どもたちが民主的な手段で小さな頃から、学校の方針決定に関与するものがあります。実は、サンプルが一つしかないのですが、今小学校6年生の娘を見ていて、学校で一番“伸びた”と感じるのは、娘が学校活動に「本気で」関与して、人と関わりながら一生懸命にやった時です。それは生徒会活動であったり、運動会の運営だったりするわけですが、ある役割を与えられて、お友達の利害を調整し、悩みながらも必死で考えてみんなと一緒に何かを作り上げるその様子は、側で見守っていても本当に大きく娘を成長させてくれたと学校にとても感謝しています。

私が、「学校」を諦めないのは、このような個人的な経験もあります。知識を身につけさせるだけなら、今ならインターネットで事足りるかもしれませんが、こうした民主主義の感度はこうした多様な人たちが集まる場でしか育めないのではないでしょうか。

いずれにせよ、この本を読んで本当に色々考えさせられました。私の備忘録のために、もっと考えたいなと思うところだけメモをしておきます。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

こういう哲学対話的な方が良いなぁ。

それぞれの考えを伝え合う中で深化されると思う。