第8回
発表を聞いていると、どうしても疑問が…
年齢によって学ばせない、伝えない…
学びの入り口とから表現(発表?)の出口までの窮屈さを感じる。
さて、学びのコントローラーはどちらにあるのか。
教員?
子ども?
これだけ開かれ、情報に溢れる中で管理するようなニュアンスが正しいかは、甚だ疑問である。
それよりも、どうこの社会と向き合うか 付き合うかが大切な気がする。
危険が混在する社会の中で、危険と分けるのではなく ともに生きる社会とその学びをつくりたい。
コントロールよりホールドの方が語としては近いだろうか。
AI原論にあるようなシンギュラリティなどはどう考える?
これを教員への気づきとして問うならば、25年前の社会に遡ってみることも良さそうだ。
25年前といえば、1994年ー1996年頃。
大きな社会の出来事としては阪神淡路大震災。
Windows95の発売。インターネットの普及率は3%ほどだ。
今はどうだろう。
一家に一台どころではない。
さらに、PC1つで世界に広がる世界がある。
これだけのスピード感を受けて進む社会。
25年後はどんな社会になっているのだろうか。
オズボーン教授の研究によれば47%の職業はAIに成り代わるそうだ。
他の研究者によれば、2011年の研究で67%の子どもが今ない職業に就くと言われている。
さて、25年後の社会に生きる子どもたちに今のスタンスで学びを持たせることが有効だろうか。
と問いたい。
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▶︎小中高の接続に関して