2019522日経より
異なる「前提」を生きてみる
他者を理解するのは昔から社会的な行動の1つだった。自分の人生経験から生まれる「前提」と他者の「前提」が異なるためだ。(中略)
自分との同一視には壁がある。「共感」の度合いに限界があることも一つの要因となり、差別や排除に声をあげる実際の行動まで踏み切れない人たちも多いのではないか。(中略)
「他者への理解」が「実際の行動」につながれば。VRは分断されつつある世界を再びつなぎ合わせる「救世主」となる可能性も秘めている。
文 山田遼太郎
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日本の社会にも同様のことは見られる。それは学校現場にも。
そういえば2017年にアレクサンド・イワノビッチはVRを通じて平等な社会を実現するというNPOを設立した。南フロリダ州マイアミが拠点の「イクオリティ・ラボ」だ。ここは警察と地域コミュニティの回復が主な目的。米国では警察と有色人種の差別が課題だ。
VRは思考への影響や心理的効果は大きい一方 身体的な効果はどうなんだろう。
使い方については一考したいところ。
"変身"という意味で様々な人、生き物、モノに変身してみるのは違いを理解できるかも。
絵本でも似たようなのあったっけ。
「いちにちぶんぼうぐ」
https://www.ehonnavi.net/sp/sp_ehon00.asp?no=66245&spf=1